わたしは絶望を読みたい

ともかく眠い。ここ1週間ほど寝不足が続いているんだけど理由ははっきりしていてテレビを見るからです。テレビを見るのをやめるとぐっと時間が出てくる。BBC地球伝説を録画してるんだけどほぼ毎日だしそれ以外にもBSフジのディスカバリーチャンネルセレクションも見なきゃだしそこにNHKのいい感じのスペシャルが入ってくるともー時間が足りないです。1時間のものを見るのにやっぱり50分くらいは拘束されるもんですもんね。そこにサッカーが入ってきたのできついです。優先順位の付け方が狂っているのだと思います。映画をしっかり見ていこうと思ってても録画してある「ひまわり」やら「トイストーリー2」やら「大脱走」やら「僕の彼女を紹介します」も見てない。腰を据えてみないともったいないと思うんだけど腰は据わらない。読書の比重がちょっと強くなってきています。といっても本を買うのが楽しいだけで未読の本がジャンル関係なしに今20冊ほど抱えている状態。マジ本読みだったらたいしたことない在庫かもしれませんがちょっと自分には多い。

漫画の話。
昨年話題になった進撃の巨人を読みました。購入しました。迷ったんです。もっと巻数かさんでからのほうがいいのではないかと何度も躊躇したんですが我慢できずついつい。買ってよかったかな?まだ迷い中。
わたしの中で良い漫画は「絶望を人はどのようにして乗り越えていくのか」を含むことが多いです。絶望とはこの先何も残らないのではないか,主人公は再起不能なまでに傷つき身の回りの人々は死に絶え自分の中の新しい輝かしい未来への希望はまったく無になるという真っ暗闇です。その絶望感を確かに感じたのがドラゴンボールであり、スラムダンクであり、ハンター×ハンターであり、バスタードであり、ベルセルクであり、月の子であり、秘密であり、たぶんもっともっとあるんですが思い出したらまた付け加えます。読者としてのわたしがどう頑張ってもこの状況を逃れることはできない、希望は無い、いったいどうすればよいのかと途方にくれてしまうとき、それを鮮やかに作品は乗り越えていきます。自ら作った高い高いハードルを血を吐きながら乗り越えていくさまが感動を与えてくれるのでしょうか。進撃の巨人にはその絶望が少し垣間見えました。この後が楽しみです。そしてこの作品の中の絶望に対して耐性ができていた自分を悲しく思いました。もう若くはないのです。

絶望を呈示してくれるものを望むのは自分一人だけではないはずです。「救いのない話を教えてください」というスレッドが定期的に立ち、それをむさぼるように読む人がきっとたくさんいます。むさぼるように読みながら自分の中の決して直視したくない暗い底のない穴の存在を確かに知ります。絶対的な悪を感じそれに対して抵抗するすべがないことがあるという絶望をときどきとても感じたくなります。人の絶望を自分の救いにしているこの酷さ醜さ浅ましさ。そしてそれを吐き出すことで自分だけではないはずを実際のものにしようと(みんなやっているのだもの)している今この現在。痛さばかりが残りますけれどもでもそれでもわたしは絶望を読みたい。