テキスト庵が解散していた

更新報告を行っていた場所であったテキスト庵が7月7日付で閉鎖していました。
ずっと日記を書くこと事態をしていなかったので同時にテキスト庵自体を開くこともなかったので先ほど閉鎖に関する文章を読んで少し驚いた。そしてそうだったなあとさみしさを感じました。
2chですらそうなりそうであった時期も(大慌てで似たような掲示板に避難所を作ったあの頃…)Readmeの中の人が無償なんです!と切れながら相次ぐ不具合に立ち向かっていっていた時期もありました(ずっと更新されなかったトップページの一部分!)。テキスト庵自体にも登録したサイトはこのサイトで5番目ぐらいで以前に登録したサイトは作っては時期が来ては更新しなくなり放置しを繰り返しました。明らかに段落文体ではなかったものもありました。mixiに閉じこもった時期もありましたがもう一度テキストを書いてみたいと思い再び書き始めて誰かに読んでほしいと思った時テキスト庵に登録をしました。文章を読みたいと考えて読みたい文章を読めるところとして今も昔も変わらず魅力的であったからです。その割に文章を書く熱意はすでに自分からは去っていてまるで水星のように覚めていることに少しずつ気がついていてそれでもときどきすっげえ書きたくなって吐き捨てるゲロのような場所としてここがあります。ゲロ袋です。ごめんなさい。でも誰かに見てほしいゲロ袋。ゲロゲロ。

中の人というものを考えさせられました。わたしは今何が起こったのかさっぱりわかりません。下世話魂が騒いで騒動に関する文章群をだいたい読んでだいたいわかったつもりですが本当のところはわかりません。
好きだったサイトがある日突然何かをにおわせて閉鎖するのと同じ空気を感じました。あのトップページはああいう書き起きをしての閉鎖はそういえばよくあるものであったのでした。あのトップページからは強いノスタルジーしか感じませんでした。ノスタルジー!テキストを読みたくて面白いテキストを書きたくてよい文章を書いて評価されたくてCGIBOYで解析しながらトップページからリンクを貼って相手の解析を待って貼り返してもらうことを夢見たり文中リンクをしたりされたり。書いていて情けないですが恥ずかしいほど自分のテキストを読んでほしくて自分が好きなサイトの人に読んでほしくてリアクションをしてもらいたくて熱心にしていたあの頃に一気に引き戻されました。そして結局のところ自分の文章力、面白さのなさではオフ会などで知り合いを増やすことが一番もっとも読んでもらえるのだということに気がついてしまったときの情けなさ。Πの記号で隠しページを作ったりもしたものでした…。
あの頃自分は何かの渦中にいるつもりであったけれど、何か事件が起こってもそれは又聞き程度でしかぼんやりとした輪郭がわからなかったし、そもそも自分には事件は起こらなかったことを考えると渦中にいるどころかその当時であってさえも常に当事者ではなかった。でもまあ当事者は大変そうであるし聞こえてきたことだけでだいたいつかむくらいでわたしにはちょうどいいことも承知している。でもときどきしみじみさみしくなる。とてもさみしくなるのだなあ。