東北関東大震災、秋田にいます。いとこの女の子が生まれました。

秋田県南在住です。
14日20時現在、ライフラインは完全復旧している状態です。
11日金曜日からの流れを記録しておきます。

■3月11日、金曜日、勤務日でした。学年末考査期間だったので生徒は校舎に残っておらず、終わったテストの採点やこれからのテストの作成、等々、通常勤務でした。
午後2時46分、直前に同僚の携帯電話がけたたましくなりました。緊急地震速報のメールが流れてのことです。「緊急地震速報だって」「誤報?」等の話をした3秒後ほど、強い揺れがありました。長くずいぶん揺れる、周期が大きい、避難が必要なのかどうなのか、この後揺れが大きくなるのかどうしたらいいのかわからないような長い揺れがありました。職員室においては全員がただ突っ立っている状態が1分ほど続きました。体感としては震度4です。ただ、揺れが長いのと周期が大きいので机の上のものは移動していませんでした。直後停電が起こりました。揺れが起きた後、何度も繰り返しyahooのページをリロードしましたが速報は間に合わず、停電になりました。途中で校舎に残っている生徒の確認に何人かで走りました。子どもたちの中には「俺生きてる中で初めての揺れだー!」と興奮しているものもいました。とりあえず机の下に隠れる等の連絡をし、その後素早く帰宅するように、と伝えました。秋田は校外は雪だらけなので屋外で退避しなさいともいえません。玄関先に退避させ、親との待ち合わせ時間、親と連絡つき次第子どもたちは家に帰っていきました。この時点から現在において、携帯電話からのインターネット接続はずっと可能でした。また地震直後は携帯電話での通話、固定電話の接続も大丈夫でした。このとき、自分は停電はすぐに収まるだろう、学校の水道は流れているから家も流れるだろうと思い、ずっと携帯電話でインターネットを見ていました。一番情報が伝わると感じたのは2chのニュース速報版です。そしたら携帯電話の電池がなくなりました。
しかし、この日11日金曜日いっぱいわたしの住んでいる地域では停電、断水が続きました。14時ころに何を思ったのか妹が夕食を作り始めており、ほとんど夕飯の支度はできていました。水に関して、家では水に関しては地下水、町水道の2つのラインを確保していましたが、地下水のくみ上げにはポンプを使用し、そのポンプ作動には電気が必要であるため、町水道も止まり水道の供給がストップしました。秋田の内陸においてはガスはプロパン(C3H8)であるので、家においては停電かつ断水、ガスだけは使用できるという状態に陥りました。雪は売るほどあるので真水に関しては安心感はあるのですがまだ溶かして使わなくてもいいかな、という余裕がありました。トイレの水を流すために、お風呂にためておいた水を持っていくことになるのですがそれがおっくうで水を摂取するのを制限しなくてはと思いました。紙をごみ箱に入れて、おしっこであれば流さない、ということにしました。お手洗いの前に人が通ると明りがつく電気(単三で動く電球?)を設置しました。でもついつい面倒でのどが渇いても水を摂取しない状況がついつい続きました。エコノミークラス症候群のことはわかっていてもお手洗いのおっくうさが勝りました。
家には発電機があったので最小限(暖房のためのヒーター1台、電気1つ)を付けながら1夜すごしました。しかし電気がつくこと、暖房があることがものすごい安心感を与えてくれました。ラジオ(単3電池が使えるもの、20年以上前から使用しているもの、電波拾うが広い)をつけっぱなしにしながら家族全員ひとつの部屋で寝ましたがまったく眠れませんでした。ラジオで聞こえる「被災地からです」の後の、若林区の200人〜300人の死者のニュースや、「電話がつながっています」の後のツーツーツーなど、絶望ばかりでした。この日テレビを見れなかったことは本当によかったと思います。真実を全部知ったら12日、13日は乗り切れなかったです。夜、犬を飼っているので、散歩がてらと22時、散歩に出かけました。これから先一生ないだろうと思われるほど星がきらきら輝いていました。地上には明りはありませんでした。星が輝くことはきれいなんだなあ、雪明りって明るいんだなあ、なんて思いながら、犬と散歩しました。涙が止まりませんでした。犬はこの時間まで何も言いませんでしたが散歩中は通常の少しわがままな彼女に戻っていました。星がきれいだねえ、って泣きながら言っても、犬は雪道のにおいをくんくんくんくんかいでいました。


■3月12日土曜日、朝はあらかじめ冷凍していたご飯(冷蔵庫はつかえませんが、開け閉めをそんなにしなければ2日くらいは冷凍、冷蔵ともに持つ)をせいろで蒸して(ガスは使用できたので)食べました。前日作っていたトン汁の残りを家に1台あった反射式ストーブで温め、食べました。暖かいもの、水を飲んでものすごくほっとしました。水は出なかったので使った食器はそのまま流しに放置しどんどん山盛りになりました。次からラップを敷こうね、と言い合いました。
仕事はわたしは休みでしたが携帯電話に職場から安否確認のショートメールがありました。近所である一人なので職場に行き、職員・生徒の安否確認の連絡をしました。つながる頻度としては公衆電話>>>固定電話>>>携帯、でした。12日土曜日はdocomo秋田県南においては非常に強く、softbankau系への連絡は壊滅でした。結果的につながるのは公衆電話であっため、学校の公衆電話のカギをあけてもらい、十円玉を入れては出し続けて固定電話につなげ続ける作業を行いました。しかし固定電話も間に光電話がからんでいる場合は「相手側のサーバーが死んでます」的なことを言われてつながりません。またコールしても相手側で取ってくれない場合が多発しました。思うにコンセントが絡む電話機の場合コンセントが死にますと音が流れない等の不具合が起こるようです。ひたすら電話をかけ続け、安否情報をできる限り取ろうと努力しました。しかし半数ほどは連絡が取れず、明日でいいかという結論になり帰宅しました。
帰宅後は家は太陽光発電を設置していますのでパネルに積もっていた雪が流れた後、光がある間発電し続けたのでそれをうまい具合に父が設置し、どんどんご飯を炊くこと、水のポンプ、明り、暖房に電力を回し食糧と水の確保に成功していました。太陽光発電は日が少しでも陰ると落ちますが、テレビ、ひとつの部屋の明かり程度は賄えるようです。テレビ、ヒーター1つだけでも電気があるということがものすごい救いになりました。ご飯を炊いている間は電力がそこに使われるため、テレビと暖房を我慢しました。
太陽光が落ちた後、発電機で1夜を過ごしました。
自宅に帰った後、明日も出勤お願いしますという管理職からのショートメールがありました。生徒への要件はわかったので家でできる限り連絡しようと固定電話、携帯電話等への連絡を行いました。通じないところも多かったです。


■3月12日夜から
12日、21時半ころ、うとうとしていると水がぽちゃ、ぽちゃ、と落ちる音が聞こえました。水が来た?と思い部屋を出ると電気がつくことがわかりました。うれしくてその勢いでお風呂を焚き、お風呂に入りお酒を飲み、水をバケツなどにためるだけため、寝ました。夢もみませんでした。

■3月13日日曜日
電気が来たので、朝ご飯をいっぱい炊きました。楽天で買っていたおいしい明太子が冷凍室にあったのでそれを出し、明太子おにぎりを10個握り職場に行きました。12日からろくに食べていない人もいたらしく、すぐにおにぎりははけました。
ひたすら生徒の安否確認を行いました。docomoはまったく通じません。softbankはばんばん通じました。優先度としては感覚として
公衆電話=softbank>固定電話>>>docomo,au、でした。固定電話も間に何かが絡むとつながらない、もしくは地域的につながらないところがありました。この電話で混むんだよな、もっと連絡したい切実な人がいっぱいいるだろうに、と思いながら電話をし続けました。なぜならそれがわたしの仕事だったからです。
14時ごろ、全員の安全が確認され、帰宅できることになりました。11日金曜日に返却予定だったDVDを返しに行くため市内に移動しました。DVDは金曜日時点で返却BOXも閉鎖されていたそうなので(GEO)「返せませんでした!」といいましたらオールおっけーで返却できました。GEO事態は混んでいました。みんなTVに飽きたのでしょうか。
その後YAMADA電気に行きました。営業していました(Ks電気は営業していませんでした)。混んでいました。「ラジオはもう全部はけました」という張り紙がしていました。一か所ガラスが割れ、立ち入り禁止区域がありました。お客さんが多かったのはTVのエリアでした。わたしはアナログの室内アンテナの延長コード的なものが必要だったのですが、アナログの室内アンテナ系のものは現在壊滅状態だということが改めてわかりました。ワンセグが視聴不可なエリアはアナログ視聴不可になったらどうしたらいいのかとちょっとだけ途方にくれました。
その後スーパーマーケット(マックスバリュ系列)に行きました。肉、魚、大豆製品、パン、は棚にまったくありませんでした。「電池、カップラーメンはないです」という感じの張り紙がありました。満ち足りていたのはアルコール製品等です。なのでチリワイン(700円くらいのやすいやつ)を2本購入し、その後営業してるのか?と思われるピザ屋さんに飛び込んで言ってピザを購入、そういえば14日はホワイトデーでしたねということでパン屋さんに行き焼き菓子を購入し帰宅しました。パン屋さんはそのパン屋のメイン商品であるメロンパンだけが山積みにあって、それを見るだけで元気になれました。ほかのパンはありませんでしたが、その名物のメロンパンを5個買い、それを1つ食べたとき、また涙がこみ上げました。フレンドールのメロンパン、おいしかったです。家族もそのメロンパンを見た瞬間、涙ぐんでいました。
あらかじめ「何ほしい?」と母にメールをしていたのですが「アイス!」と言っていて買えたら買おうと思ったけどよーく考えると停電1、2日あった地域でアイスクリームも冷凍食品も売ってくれるわけありませんよね!まあそれでもいいから売ってほしいんですけどもちろんありません。家に帰り余震も落ち着いてきたのでワイン2本を開け、お風呂に入りぐっすり寝ました。ラジオをつけっぱなしで、一か所に集まって家族全員で寝ますが緊急地震速報の頻度も下がり、その音も震度4ほどの揺れにも何も対処しないようになりました。

■3月14日月曜日
通常勤務でした。通常のやらなくてはいけないことをひたすらこなしました。自分の受け持ち区域の安全確認を行いました。仙台に住んでいる子どもたちの安否を直接、間接的に聞くことができました。昨年入隊した陸上自衛隊の子たちが現地に赴いていることを知りました。ニコニコ動画を常に見られる状態にし、こうやって臨時ニュースがインターネットで常にTVが見られるのが普通ならいいなあ、と思いながら仕事をし続けました。

■ガソリンの話:
もともとけちけちでガソリンはほとんど入れないぞ!という状態であったため、11日以降、車のガソリンがほとんどなくなり、このままでは職場までの往復もままならない、と思い12日土曜日、近所のGSを回りました。停電中であたっため営業していないGSがほとんどな中、一か所営業しており誰も並んでいないので入ると自家発電でガソリン組み上げをしていました。「満タン入れても大丈夫でしょうか?」と尋ねると「あるだけ売れるだけ売るから大丈夫」という太っ腹のお母さんの一声があり満タン入れてもらいました。しかしその後大渋滞が起こり、1500円先払いし、10リットル、というシステムに変更になったそうです。基本的にGSは停電であってもガソリンを組み上げられるシステムになっているようですがそれも機能しないところもあるようです。

■発電機のこと:
発電機はガソリンとオイルの混合を用いますが、父が年ほど前にyahooオークションで2万で手に入れたものでした。混合オイルの在庫はとりあえず暖房1台と明り1部屋で2日持つ程度しかありませんでした。発電している最中のにおい、排気、音等都心部では使えないくらいうるさいしにおいも出るものです。しかしものすごい安心感でした。

太陽光発電のこと:
日光がある限り、発電しているものを家で使用することが可能です。ちょっと曇るとブレーカーが落ちる感じです。電気を使うものはご飯を炊いたり、お湯を沸かしたり、ドライヤーなど発熱するものはすっごく使うのでそれをやりたいならおっきいパネルを設置したほうがいいです。でも使っていない限りは東北電力に売電する形になるので、節電する限り電気を誰かに供給できているのかなあ、とぼんやり思っています。

■仙台あたりの話のこと:
仙台市内から秋田に返ってきた生徒からの話です。
被災地でない、ライフラインが復旧している地域においても物資が不足が厳しい状態です。食糧、ガソリンが一番です。
それらに不足している場合はたよる人がいる場合は県外への脱出をお勧めします。できる限りヒッチハイカーにも融通をきかせられるといいと思います。「ライフラインが復旧しているから大丈夫」ではないのです。都心の今現在の方はとてもわかると思います。どこかの人がご飯を作ってくれていて、それをトラックが運んでくれていて今の普通の生活があったのです。

■考えたこと:
流通や自分の今使っている電気がどの発電所から来るのかを知っていなくてはいけないと強く思いました。
自分の住んでいるところが職場からどの方角なのか、大切な人たちの集合場所も知らなくてはいけないです。
手回し等、物理的な動きからコンセント電源を取るすべを勉強します。日常的なものから携帯電話やラジオへの充電ができるようなシステムをちゃんと勉強してまとめなくてはいけません。
めんどくさがらずお皿を洗ったり洗濯をしたり髪をあらおう、いつどこでずっと水も電気もないかわからない、と思いました。

■買わなくてはいけないと思ったもの
手回し等、何もなくても充電できるような機械、それにラジオが付いていたら最強だなあ。
車から充電できる線。在庫としてのウエットティッシュ



電気が通じない、電話、携帯電話が通じない場合の連絡の確保についてとても考えさせられ、今も考えています。
他にも勉強しなくてはいけないことがたくさんあることがわかりました。
自分にできることは何かをずっと考えています。

被災地の方に、まだ救助を待っている方に、何もかもなくなって絶望している方に、何か湯たんぽのような、暗闇で輝く光のようなものを伝えたいです。生きている限りなんとかなります。なんとでもなります。なんとかしていきましょう。形あるものはいずれ壊れてしまうけれど新しく生み出していくことは生きている限りできます。わたしはずっと祈っています。きっとかなりの数の人が、自分に一体何ができるのだろうと必死になって考えています。被災している人たちのことを考えています。一人じゃないです。たとえ自分の泥だらけの手を洗うことすらできなくても、祈りが満ち溢れているのです。それを感じてほしい。それを支えにしてほしい。

今日、18時、いとこの子どもが生まれました。女の子です。
健康です。また泣いてしまいました。