風邪がはやっています

風邪がまわりではやっています。わたしも1週間ほど前からずっとのどがイガイガしていて治らない。悪化もしないのでただ地味にのどが痛いだけなんだけど集中力が切れるとしみじみのど痛いなあと思う感じです。今まさにのど痛い。夜になると秋の様子であっという間に夏が行ってしまったなあと悲しい。そして昼間眠くてしょうがない。今日こそ早く寝よう。

何を思ったのか本棚に紛れていた新井素子の「扉を開けて」

扉を開けて (コバルト文庫)

扉を開けて (コバルト文庫)

を読んだのですが、時の流れは残酷の一言。アマゾンで調べたら羽海野チカさんの挿絵と表紙で復刻されていたんですね。一番違和感を感じたのは人を殺すシーンでした。やっぱり軽い。軽すぎて憤りすら感じさせる。文体のせいだけではなく、当時の作者としての若さが全面に出ていたんだなあなんて上から目線で感じました。

当時は若くて(20歳を待たずして)漫画や小説の世界のデビューするという人たちが確実に存在しました。世の中をいまいちわかっていないであろう無垢な女の子が才能のままに作品を完成させるところが良かったのだろうと思います。そこに群がる殿方という構図もすこぶるわかりやすい。果たしてそれは本当に才能であったのか?なんてすら思えるほどそこに群がる殿方はセクシャルな雰囲気を常にまとっていたのでした。

ライトノベルの成長過程であったから読者の成長とあわせるように若い才能が好まれたのでしょうか。リアルタイムで新井素子さんはわたしにとってすこぶる読みにくい、鼻持ちならない、でもまあ「星へ行く船」は内容としてストーリーとしておもしろいなあ、で他の本も読んだけど、というものでした。主人公の女の子が冴えない感じなのに何らかの取り柄があって周りからちやほやされる構図が「けっ」と言いつつもよいのう、と読んでいたんでしょう。それこそ今のライトノベルのよくわからないけれどもモテル主人公、何か取り柄がある主人公とそこは変わらないのかも。わたしも年をとりました。今の子たちが読んでおもしろいかどうかはわからない。復刻も対象はわたしのような一度読んだ世代でしょう。とすると羽海野チカさんの豪華カラフルイラストつきのハードカバーがよかったのではないかなあ。

ライトノベルなんてもう読みもしないけれど思う存分おぼれていたあの頃のそれぞれは、きっとそれなりに色あせてしまったのでしょう。読み継がれる本が一部であるように、読み継がれる物語が一部であるように。