シューマンの指(奥泉光)を読んだ!

シューマンの指(奥泉光)を読みました。
ネタバレしたらおもしろくない部類の小説な気がするので筋を読んでいての周辺の感じたことを書いてみます。

わたしは小学校2年生の頃からエレクトーンをやっていてそれは高校2年生まで続けていたんだけど特にピアノに対してはものすごいコンプレックスがあります。小学校2年って音楽関係の習い事をするには遅すぎると習い始めた当初から思っていてでも時期がどうじゃなくって自分には音楽に対する情熱が無いことに少しずつ感じていたもんでした。田舎なもんで1クラス40人ほどのクラスメイトの中でピアノをやっている子が2人、エレクトーンはわたし1人でした。習い事はしているだけで「よい」感じであったし、それだけに満足していました。だんだん上達するにつれて発表会に出たり、評価されたり賞をもらったり上の級を取得したりしました。エレクトーンはヤマハの出す電子オルガンのことですがわたしが習っていた間にその機械はどんどん発達していって、最終的にはプログラミングで打ち込まれているリズムや音色に乗せて順番に弾いていく形になっていきました。一回間違えて立ち止まることができない仕様です。途中「タッチトーン」という技術が機械に織り込まれていきました。電子オルガンのキィを指先で力を込めることで音量も変化するものです。自分が買ってもらった初期の機械には投入されておらず、レッスン教室の最新の機械にはあったものだったので取得するのにとても苦労しました。そうそう、最初は音の量を調節する右足すら全く使えませんでした。最初、音の量の調節など何の意味も成さない、と思っていたのだと思います。楽譜にあったものをそのままキィボードでなぞっていくことで音楽は完成するのだと。フォルテもピアニッシモも何もかも右足を全く動かさずただひたすらに楽譜通りに指先を動かす演奏はすぐに矯正され感情豊かに音量を変化させていけるようになるまで、これまた時間がかかりました。長く続けていて身についたことは音感の良さ、ぐらいです。グレードとよばれる級取得のためには、あらかじめ曲を用意しておいて自分なりにアレンジしたり、楽譜を用意され30秒後それを演奏したり、音楽を聴かされてそのとおりに演奏したり、等ただ曲を演奏するだけではないものがあったんですが最後まで楽譜をその場でそのまま弾けるようにはなりませんでした。苦痛でした。最初から最後まで、いつも先生の演奏する曲を耳で覚えてそれを出すことしかしていなかったのでした。楽譜は読めるふり
でしかなかったのです。
まあこんな感じであったのでプロになろうとかなんておこがましすぎて全く思ったことも無かったし(親は少しそんな妄想を抱いていたみたいでしたが)将来的には自分は鍵盤を何年も引かないことになるだろうという予感に充ち満ちていました。でも上手にはなりたかったので一生懸命わたしなりに練習はしました。この季節になると、暑い中集中して練習し続けて、合皮でできている椅子カバーと足の間にじっとりと汗をかいて指先も汗でぬれているんだけれどまだまだ出来損ないなので練習し続けたことを思い出します。はじめると半日くらいはずっとやり続けて基本暗譜なので暗くなっても明かりもつけずにやっていました。

今わたしはエレクトーンの前に座ることもありません。ほんの時々、年に2,3回どうしても弾きたくなって職場のピアノをこっそり触るくらいです。そして時々ピアノを習おうかなあと思ったりします。何度も思いました。どうしてわたしはピアノを習わなかったんだろう。しかしピアノを習っていたならば、エレクトーンほど続かなかっただろうとも予想つきます。ピアノは自分の耳で聞いて、あきらかに上手になったと思えるためまでの道のりがずっとずっとエレクトーンよりも遠いと思います。例えば指の筋肉。和音すべてに均等に力をかけることそれだけでも。結果として、わたしはピアノを習わなかったために、長くエレクトーンを通じて曲を演奏するということに取り組み続けたことになります。

この本の中にはピアノを才能豊かに弾く人が出てきます。「船に乗れ!」という本や「のだめカンタービレ」等と同様、音楽にのめり込んでいく青春がとてもおもしろく感じるのは、こうやってちょっとだけでもかじっていたことがあったからなのか。そう思うことすらおこがましい気もするんだけど何にもなかった青春時代を持つ身としてはそれくらいちょっと勘違いしてもいいのかな、なんて思うのでした。