モダンタイムス(伊坂幸太郎)を読んだ

モダンタイムス(伊坂幸太郎)を読み終わりました。
エアロバイクこぎながらだいたい4時間程度か。おもしろかったです。とりあえずエアロバイクを1時間はこぐぞを実施しているんだけどおもしろさ>運動のつらさ、というものでした。同時進行でフェルマーの最終定理サイモン・シン著)も読んでますがこれはバイクこぎながらだと辛かったです。落ち着いているとおもしろいんだけどだんだんと「素数とかもうどーでもいいよ!」と脳みそがエラーを起こしてしまう。ちっちゃいノーミソさん。

伊坂幸太郎さんの作品は1週間くらい前にやっと「ゴールデンスランバー」を読んだくらいで売れっ子だろうなあおもしろそうだなあと遠巻きに見ていたんだけどまあみんなが好きならわたしが好きじゃなくてもいいじゃない的なアイドルのような立ち位置で要するに食わず嫌いしてたんだけどじゃあ食べてみておいしかったかというとまだよくわからない。伏線となるアイテムがごろんと転がっていてそれはきっちり回収される仕組みなのだなあ、とゴールデンを読んだときには思ったんですが純粋にモダンタイムスはおもしろくて続きが気になって(その割に長すぎる描写的なところはすっ飛ばして読んでしまう)どんどん読めました。あとがきに漫画雑誌に連載されていた、と記述がありちょっと納得。新聞小説的などこから読んでも結構おもしろい引きつけられる内容がずっと続いていました。この世界を目線を変えてまた読んでみたいもんだ。

話がちょっとずれます。
軽度の拷問好きとしてはもうちっと拷問シーンを更に痛いものにして頂けたらうれしかったか。痛みを伴う描写って難しいもんだなあと映画を見てても思うんだけどこっちの痛みを感じるキャパシティぎりぎりラインばっちりにその描写がなされるとすっごく痛く感じますが想像外のものであると麻痺しちゃう。「拷問」「残酷」という記号になっていく。わたしの中では恐怖も同じで、今までかなり恐怖を感じたものの中のひとつに、映画のCUREがあるんだけどあるシーンを見た瞬間に画面に近いほうから自分の体が鳥肌立っていったのを未だに覚えていてやっぱりそれは等身大もしくはそれよりちょっと大きい恐怖だったからなのだと思う。黒い家という映画においてはもはや恐怖はインフレを起こしていて記号でしかなく全く怖くなかった。
この残酷さや恐怖はたぶん「わたしは絶望を読みたい」とまるっきり同じことを言っていますね。更に分析をしていきたいところです。